うつ専門カウンセラー澤登和夫(通称さわとん)の講演、カウンセリング

反響多数:うつ病の息子を支えた母親の体験記(全8回)

【うつ病の息子を支えた母親の体験記 第1話】自分の子どもがうつ病!?

 
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澤登和夫(さわとん)
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ぼく澤登和夫は27歳〜33歳まで、約5年半にわたりうつ病で苦しみました。マンションの最上階から飛び降りるということもしました。
人生をやめたいほど苦しかったのですが、当時苦しかったのはぼくだけではありませんでした。
同居して支えてくれていた母親も、自分がうつになるくらい苦しい思いをしました。

今回、その母の体験記を何回かに分けて掲載することにしました。
母もこの体験がうつで悩んでいるご家族の力になれれば本当に嬉しいと思っています。

 

※この体験記は2013年5月に、母がぼくと一緒に新潟の講演会でお話しさせて頂いたときの原稿が元になっています。


(↑講演会の様子です)


(↑講演会の原稿です)

 11冊の3年半にわたる日記帳の一部を織り交ぜながら

こんにちは、和夫の母です。

長い長いトンネルから抜け出して、私が心から笑えるようになってから約5年がたちます。

息子である和夫が5年前に起業した後、和夫主催のイベントに参加したときそのつど皆さんから温かい声援、励まし、感謝の言葉を頂いて、徐々に希望が膨らんでいきました。そして、いつしか、かつての苦しみはすっかり忘れて振り返ることもなくなりました 。

そんな中で、今日のお話する機会を頂きました。

文章が下手で申し訳ありませんが、11冊の3年半にわたる日記帳の一部を織り交ぜながら話を進めさせて頂きます。

 

順風満帆の幸せな生活を送っていると思ってた

和夫は1974年3月29日、元気に誕生しました。

髪の毛が少なくてキューピーさんと言われ、みんなから愛情を一杯いただいてすくすくと育ちました。

妹が生まれたのは、和夫が小学校3年生の時です。

10年近く一人っ子時代が続き、「かわいい、かわいい」と甘やかして、過保護に育ててしまった気がします。

「いい子、いい子」で育ててきて、子供の本来持っている伸びようとする大事な芽を摘んでしまっている子育てだったことに気づいたのは、だいぶあとのことでした。


(↑大学の入学式、父と母と)

そんな和夫も、一流大学を出て大手企業に就職、27才で晴 れて結婚しました。

結婚して2年半、2人は社宅で順風満帆の幸せな生活を送っていると思っていました。

 

うつ病と聞いても、全く信じられなかった

ところが、今から9年前の2004年8月19日、お嫁さんからの電話でその思いは一変しました。

お嫁さんによれば、結婚後、半年位から和夫がうつ病になり、今も病院に通って治療を受けている。

そして2日前に大げんかしてお嫁さんが家を出ている、とのことでした。

和夫がうつ病と聞いても全く信じられませんでした。うつという病に対して全く理解できません。

今ではうつのことが新聞でもテレビでもさかんに報道されるようになりましたが、その頃、8年位前はあまりなじみがありませんでした。

私にとってまさに寝耳に水。

その後、息子から話を聞き、結婚と転居と大手企業への3年間の出向とが同時にやってきて、結婚後数ヶ月からうつになり、病院に通いつつ会社に行って、大変な状態だったということがわかりました。

お嫁さんはその後、家に戻らず、親同士で何回か話し合いの末、約半年後の2005年1月、離婚しました。

 

うつに対して偏見があり、絶対に他人に知られたくなかった

和夫は社宅から実家に戻り、私と主人と3人で暮らし始めました。

休職して実家での療養生活になりましたが、うつ状態は徐々に悪くなっていくようで、ほとんどベッドに横たわっていました。

私は、和夫のうつ病をなかなか受け入れられず、医学の本を読んだり、うつに関する本を探しまわりました。

うつに対して、精神病に対して、偏見があり、絶対に他人に知られたくない、という強い思いがありました。

その頃の日記をひろいました。

 

(日記)2005 年3月14日

和夫の体調がとてもつらそう。殆んど横になっている。
食事はするが顔に表情がない。話もしない。

私も勇気づけることもできず、精神的に、とっても苦しい。

でもへこたれないように自分にムチうたなければ。

そして和夫と明るく接していかなければ。

 

4月22日

気持ちを切り替えて、明るく元気な私にならなければ。

このままだと、どんどん落ち込んでがんじがらめになり、

心臓がぎゅっと痛んで私までおかしくなってしまう。

 

 

息子のぼくが今読んで思うこと

ぼくはうつ病当時の自分を振り返っても苦しくなることはないのですが、この母親の体験記を読むとさすがに胸が痛みます。「心臓がぎゅっと痛んで私までおかしくなってしまう」という言葉にこちらもぎゅっとなります。

当時の自分について思い返すと、とにかく1日1日、1秒1秒辛かったという感じで、親のことを考える余裕もありませんでした。

絶対に他人に知られたくない、というのはぼく自身もありましたが、母も同じような気持ちだったんだとわかりました。母が自分の辛い気持ちを表に出すことはありませんでした。

 

第2話

【うつ病の息子を支えた母親の体験記 第2話】「疲れた、もういいでしょ!」

に続きます

 

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