うつ専門カウンセラー澤登和夫(通称さわとん)の講演、カウンセリング

反響多数:うつ病の息子を支えた母親の体験記(全8回)

マンションから飛び降りたぼくが「死にたい」から解放されたきっかけ。年配の女性の一言

 
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澤登和夫(さわとん)
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”うつヌケ”したきっかけとなった女性の言葉

ぼくは、5年半重度のうつ病で苦しんだことがあります。

そしてひどい時には1秒1秒が苦しくてマンションの最上階から飛び降りる、ということをしたことがあります。

そんな自分でしたがおかげさまで元気になり、今はカウンセラーや講演家として活動しています。・

今日はそんな自分が元気になったきっかけの一つをお伝えします。

なお、あくまでこれはぼく自身のきっかけの一つです。

 

8年前に書いたアメブロより

うつヌケしたのはもう13年前のことになります。

8年前に書き記した下記のブログの方が素直な気持ちが出ているのでそちらを転記します。

全20回でうつ体験談を書いたのですが、その中の一つ、

メメント・モリー澤登和夫15

より転記します。

 

メメント・モリ

ぼくが「人生をやめたい」
という気持ちから解放される
きっかけとなった言葉のひとつは、

病院にお見舞いに来て下さった
年配の女性がささやいてくれた言葉でした。

重度のうつ状態で
死にたいと思っていたぼくに、
その女性はこう言いました。

「そんなに死に急がなくても
大丈夫ですよ。

ちゃんといつかお迎えが
きますから」

死にたい、死にたい
とばかり思っていたぼくの気持ちを
知っていたかのように、

何気なく言われたその言葉が、
ぼくの心に響きました。

それまではだれに何を言われても

「それはそうだけど、でも。。。」

とか

「そうはいっても、、、」

という感じでしたが、
この言葉だけはすんなりと
こころに入ってきました。

ぼくはこのように思ったのです。

「たしかに、
人ってだれでも死ぬんだよな。

どう生きようが、
結局終わりがくるんだよな。

そういう意味では、
だれもが平等なんだな」

それまで人と比較ばかりして
劣等感に苦しんでいたぼくでしたが、

死ぬという意味では平等だから
比較する必要もない。

苦しい気持ちが
和らいでいくのを感じました。

「まぁとりあえず生きてみよう」

そんな気持ちになりました。

ラテン語に

「メメント・モリ」

という言葉があるそうです。

「自分がいつか必ず
死ぬことを忘れるな」

という意味だそうです。

「メメント・モリ」

お見舞いに来た女性に
教えてもらいました。

ということでした。

死を見つめることはちょっとパワーがいることだけど、でもだからこそ見えてくることもあります。

「死を見つめることで、”生”が輝く」

ぼくはそう思っています。

「命に限りがあるからこそ、1秒1秒をしっかり生きよう」

というのも一つの考え方です。

ぼくはといえば、

「命に限りがあるからこそ、まぁそれなりに生きましょ」

って感じが近いです。

どちらが正解というのは無いですね。いずれにしても命は有限、ということです。

今すぐは難しくても、向き合いたいなと思った時に命に終わりがあることに向き合ってみるのはいかがでしょうか。

 

まとめ&YouTube

上記の言葉は、うつから解放されるきっかけになった言葉ではありますが、13年経った今の自分自身にもとても大きな言葉です。

「命に限りがあるからこそ、まぁそれなりに」

位で今も思っているので、それなりに楽に生きられているのかもしれません。

 

YouTubeでもこの内容のことをお伝えしていますのでよかったらご覧ください。

 

著書です。
今回の内容以外のうつ抜け体験談は、下記3つの本にも書いています。

人生をやめたいと思ったとき読む本  (東洋経済新報社)

ありがトン(サンマーク出版:中古のみ)

自殺者三万人を救え!

自殺者3万人を救え!−”命”みんなで守る社会戦略(共著:NHK出版:中古のみ)

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